伊場仙400年の歴史

伊場仙は徳川家康と共に江戸に上がった浜松の商人、伊場屋勘左衛門によって創業されました。当時の屋号伊場屋は初代の出身地が遠州伊場村(現在の浜松市中区東伊場町)であったことからなづけられたものです。江戸中期には代々仙三郎と襲名していた事から伊場屋仙三郎の愛称「伊場仙」が正式な屋号となりました。

遠州伊場村(現在の静岡県浜松市中央区東伊場町)

創業当時は徳川幕府の御用を受け賜り、江戸日本橋の埋立工事などをしておりましたが、慶長年間江戸日本橋堀江町(現在の本社所在地、東京都中央区日本橋小舟町)にて、和紙、竹製品などの販売を始めました。江戸後期より団扇(うちわ)を扱い始め、その後、初代豊国、国芳、広重などの版元として浮世絵の出版も始めました。

江戸時代の日本橋周辺

当時の「伊場仙版」の絵は今では国内の美術館はもとより大英博物館、ボストン美術館、メトロポリタン美術館、ヴァンゴッホ美術館等海外の著名美術館でも見ることができます。


・大英博物館の「小倉擬百人一首」はこちら > https://www.britishmuseum.org/
【作家:歌川広重 版元:伊場屋仙三郎】

 ・一幽斎廣重(歌川広重こと)の「音曲世界合」> Japanses Prints in London サイトより


江戸後期より扇子の販売を始め、団扇、扇子、和紙製品の老舗として現在に至っております。

関東大震災後の大正の伊場仙

伊場仙の商いの考え方

弊社は日本の伝統文化、取り分け江戸文化の継承に力を入れ、製品のデザインには江戸のデザインや色を取り入れています。素材は厳選された国産の竹、和紙、繊維を使用し、これらを熟練した職人の手によって製品化しています。

 
また400年に亘る商売を通じ、人と人との絆を大切にし、お客様への信用を第一として、地域や社会に役立つ企業として日々精進しております。

浮世絵版元

版元の仕事

版元というのは、今で言うところの出版プロデューサーでしょうか。
浮世絵を何点かご紹介していきます。そこに当時の版元と浮世絵師の関係、江戸の反骨精神を垣間見ることができます。

  

歌川国芳(うたがわ くによし)

源頼光公館土蜘蛛作妖怪図 

1843年(天保14)大判錦絵三枚続

源頼光公館土蜘蛛作妖怪図 歌川国芳

大江山の酒呑童子(土蜘蛛)を退治したという源頼光が、土蜘蛛妖怪達になやまされている図。大江山の鬼退治の絵は他にあれど、この絵は謎解き。ふせっている頼光の着物の柄がさや型、つまり十二代将軍徳川家慶ではないか、隣に控える武士の紋所から水野忠邦ではないか、後ろの妖怪のなかのどれが誰だという謎解きが始まり大反響。水野の禁制政策に嫌気がさしていた江戸庶民は、こぞってこの浮世絵を買っていきました。
そして版元は伊場仙の文字。あまりの人々の熱狂ぶりに伊場仙は絵を回収、版木も削ってしまう手早い段取りにより、お咎めは無し。さてさて...
 版元である伊場仙も、国芳の所属していた歌川派も、江戸幕府の御用を承っていたいわば、政府御用達。その権利が剥奪されることもなく、その前もその後も、反骨精神でを持ち幕府の批判も厭わない風刺絵を出版していくのです。

 水野忠邦

水野忠邦

源頼光

源頼光



荷宝蔵壁のむだ書

1847年(弘化4年)頃


荷宝蔵壁のむだ書 歌川国芳


天保の改革以来、役者浮世絵には出版差し止め令が出ていました。そこでなんとか出版しようと、絵師や版元は工夫していきます。この絵は「これは浮世絵ではない。落書きだ」というわけです。当時の人には、歌右衛門や幸四郎、梅幸が見て取れるのでしょう。真ん中のネコに至っては、二尾のねこまた。楽しそうに踊っています。こうした遊び心こそ、贅沢に感じられます。


 幸四郎

幸四郎

歌右衛門

歌右衛門



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