団扇と扇子の歴史

古くは高松塚古墳の、高貴な女性がかざしているのは、80cmくらいの棒の上に、丸い木に漆で縫った大きな団扇のような物です。団扇の部分をスライスし、折り畳めるようにしたのが扇子の始まりです。

団扇のはじまり

団扇のはじまり

中国(宋)12世紀

 

雛人形のお雛様が持っているのも檜扇。しかし檜扇自体も重く、持ち運びに便利なように紙と竹を使った物ができるようになりました。平安絵巻にも出てきます。テレビの時代劇に出てくるような公家や将軍が持っている扇子もそれです。こうもりの翼ににていることから「蝙蝠(かわほり)」とも呼ばれていました。
その後もコンパクト化は進み、現在に至っています。

雛人形1800年代

雛人形1800年代拡大

雛人形 1800年代

扇子が夏の持ち物として庶民に広まったのは、江戸後期のころです。日本の扇子は15世紀頃から海外に出るようになります。中国へ渡って白檀の扇子に、またヨーロッパに渡ってシルクの扇子に変わりました。貴族階級のための扇子ではありますが、京都、南京、パリ、マドリードには沢山の扇子職人がいたと言われています。
一方団扇の方も、主に武将が軍を指揮するときに使う物となりました。現在も相撲の行司さんが持っている、軍配に当時の原型を見ることが出来ます。

源氏物語絵巻 12世紀

源氏物語絵巻 12世紀

源氏物語絵巻 12世紀

 

鳥居清長 18世紀


鳥居清長 18世紀

 

その後、団扇も紙と竹を使って軽量化が計られます。紙の上には金箔を張り絵師に豪奢な柄を描かせたものが貴族中心に広まるようになりました。江戸も中期になると大量生産、大量消費の時代になります。団扇は手書きでは間に合わなくなり、木版技術を使って庶民が買えるような値段になりました。

喜多川歌麿 19世紀

喜多川歌麿 19世紀

喜多川歌麿 19世紀

 

当時の伊場仙は浮世絵の版元であることを生かし、当代の浮世絵師--歌川豊国、国芳、広重等に発注し、夏の風物や観光地などを描いた「メディアとしての団扇」を製造・販売していったということです。